触手ラーメン店

「意外と綺麗だな」
 ラーメン店に入って、思わずそう呟いた。事前に聞いていた情報から、何がどうなってても良いように覚悟を決めて来たのだが、店内は拍子抜けするほど普通だ。そこそこ混んでいて、客達は黙々とラーメンを食べている。
「うん。普通の店だ」
 隣にいる友人、フウトはテーブル席に向かう。
 俺はフウトの向かいに座る。そして、ガラス張りの窓の向こうに目を向ける。
 そこには、巨大な穴がある。端が見えないほど巨大な、真っ黒な穴だ。
 宇宙から落ちてきた隕石らしき何かによって、地球に穿たれた穴。穴の中がどうなっているかは分からない。どんな探査機を使用しても中を窺い知ることはできないからだ。
 穴からはその何か、今では『触手』『霧の中にいるヤツ』『冒涜的な何か』と呼ばれている腕が、うねうねと這い出してくる。
 その触手に対応するため、穴の周辺には自衛隊や各国から派遣された軍隊の基地が並んでいる。しかし、今ではその基地はお飾りだ。
 本当に大事なのは、基地の更に周りに広がる、俺達がいるラーメン店街である。
 何故ラーメンかというと、触手はラーメンが好きだからだ。人類の涙ぐましい実験の結果、奴の好物がラーメンだと分かったのだ。そしてラーメン以外には目もくれず、人間に危害を加えることもない。
 研究結果が出た途端、穴の周りに、史上最大規模のラーメン店街が生まれた。ありとあらゆる美味いラーメンが食べられる町だ。人々は美味いラーメンと穴の見物のために押し寄せ、触手はお供えされたラーメンを食べる。
 最も、最近は食べるだけでは飽き足らず、自分でラーメンを作るようにもなった。
「……あ、きたぞ」
 フウトの視線の先──店のカウンターから、にゅうっと触手が伸びてくる。触手の先端で、二つのコップを持っている。
 触手は俺達の前に、コップを置いた。ごく普通のプラスチックのコップに、水と氷が入っている。
「どうも」
 触手はするすると奥へ下がっていった。
「本当にラーメン作ってるんだね」
 フウトは小声で言った。
 触手は大鍋の前で忙しく働いている。
「マジで、人間のラーメン職人そのものだな」
「宇宙からやって来て、地球に大穴をあけたと思ったら、ただラーメン作ってるだけって」
「まるでB級映画だな」
「映画だったら、実はラーメンを使って地球を破滅させる恐ろしい何かをやってるとか、なんて衝撃の展開が」
「あはは。まあ、ラーメン自体は安全らしいが。さて、メニューは……」
 テーブルの隅に置かれているメニューを広げる。
 そこには、謎の絵が描かれていた。多分ラーメンを描いたのだと思うが、何がなんなのかさっぱり分からない。絵の隣にはミミズが這いずった跡のような横線が引かれている。日本語を真似て宇宙人が書いたのだろうが、やっぱり読めない。
 しかし、偉大な先人の挑戦によって、どの絵を頼んだらなんのラーメンが来るかは分かっている。俺はスマホをタップした。触手ラーメン店攻略サイトを開く。
「えーと、これが豚骨で、こっちが醤油。そっちが味噌で、隣のが塩。どれにする?」
「じゃあまあ、とりあえず豚骨」
「俺は味噌にしよう」
 厨房で待機している触手に向かって手をあげる。
「豚骨と味噌をお願いします」
 触手はぬるっと動き出した。
 二人分の器を用意する。湯気が上がる大鍋で麺を湯がく。その間に別の触手がおたまを持ち、スープの鍋をかき混ぜている。
 程なくして、湯がいた麺を丼に入れる。そしてスープを注ぐ。最後にトッピングのネギとメンマとチャーシューを載せる。
 丼をお盆に乗せ、運んでくる。俺達の前に丼を置く。
 見た目は完璧、ラーメンそのもの。食欲をそそる香りが湯気に乗って鼻を刺激する。
 俺とフウトはごくりと息を飲んだ。そして両手を合わせる。
「いただきます」
 割り箸を割る。右手に構え、麺を一気に口に運ぶ。
 途端、目を見開く。
「うまいな」
「ん、うまい」
 それっきり、俺達は喋らなかった。
 勢いよく麺を啜る。肉厚なチャーシューを頬張り、汁を飲む。
 少し太めの麺、こってりしたスープ。
 うまい。本当にうまい。
 想像の百倍うまい。
 今まで食べたラーメンの記憶が全て消し飛ぶ。こんなにうまいラーメンは今まで食べたことが無かったし、これから出会うこともないだろう。

 あっという間に丼は空っぽになった。
 コップの水を飲み、口の中をさっぱりさせる。
「何で地球に来たんだろうな?」
 フウトが言った。
「さあ、どうしてなんだろうな。色々な説が出てるが、どれも正解とはいえない」
 スマホが震える。そろそろ出る時間だ。
 俺達は席を立った。
 触手がレジカウンターの前へやってくる。
「ご馳走様」
 硬貨をトレーに置く。
 触手は硬貨を拾い、レジの中へしまった。
 そして、ぶるりと震えると、口から何かを吐き出し、トレーの上に落とした。それは、二つの黒い小石だ。
 この小石を渡す行為は、店のカウンターで金を払う人間を真似ていると考えられている。俺達は一つずつ手に取った。
「ありがとう」
 触手はするすると奥へ下がっていく。俺達は店を出た。
 今はちょうど夕方だ。街は賑わっている。美味しそうな匂いがそこら中から漂ってきて、満腹なはずの胃袋を刺激する。
「石、どうする? 研究機関に持っていくと、高く売れるらしいけど」
「売る? まさか。記念に取っておく」
「ま、そうだよね。次はどこへ行く? チャーハンが食べたいな」
 人混みの中を歩く。皆楽しげだ。だが、その中に怒った顔の人間がいる。
『宇宙人は危険!』
『人間よ目を覚ませ!』
『ラーメンを食べてはいけない!』
 プラカードを掲げ、大声で何か叫んでいる。しかし道ゆく人々は無視している。彼らの前には警察官が仁王立ちしていて、過激な行動へ出ないか見張っている。もし暴れだしたら、速攻で発砲できるよう、ホルスターに手をかけている。
「一度食べてみたらいいのにね」
 フウトが呟く。
「全くだ。そもそも、ラーメンで世界征服とか、馬鹿げてると思わないのかね? あ、次の店だけど、この向こうにあるラーメン店に行かないか?」
「そこ、チャーハンはある?」
 俺はスマホを操作した。
「無い」
「はあ? というかチャーハンが無いラーメン屋って何だそりゃ」
「この店の店主は、触手ラーメン店で修行したらしいな。ほら、触手ってラーメン以外作らないから、この店も無いんだろう」
「嫌だ。別の店にしてくれ」
「んー……じゃあこっちにするか」
 俺達は角を曲がり、二番街へ入った。
「アイツ、餃子やチャーハンは何故か食べないんだよな。何でだろうな」
「知らん知らん。ほら、行くぞ」
 店が見えてきた。行列ができている。俺達は新たなラーメンとチャーハンを求め、最後尾に並ぶ。
 夕闇の風が吹く。俺達の頭に生えてきた触手が揺れた。